6/27 ニホンのココロ・その4

6/20 サヨナラドクター

6/17 やるなら今しかねぇ

6/12 克服への道のり・その2

6/7 ニクイネ、酋長!!

6/7 克服への道のり・その1

6/6 ニホンのココロ・その3

6/4 ニホンのココロ・その2

6/2 ニホンのココロ

memeちゃりマップ、よかったら見てね☆ココからどうぞ♪いつでもここにいます^^

ニホンのココロ・その4
毎日ヘビー級に忙しくって銀行に行く暇もないので、先日皆で行ったコストコで立て替えてもらったお金も
まだ払えず、お金にルーズになってる自分にちょっと嫌気が差してる今日この頃です。
忙しついでにやっぱりついつい手抜きになっちゃうのがご飯作りで、
なんと2日連チャン肉じゃが&ししゃもメニューで、案の定ダッディからの鋭い突っ込みに
『(前日のは)デジャヴだよ、きっと』でごまかそうとしたけど通じなかった。
しかもこの日のお昼のお弁当も肉じゃが入れたので、ダッディはちっとも笑えなかったみたい。
残念>_<

その点ひまわりさんはちっともで、肉じゃがも美味しい、美味しい言って食べてくれて、
ししゃもなんて私と奪い合うようにして食べた。
軽く言い訳させてもらえば、先日じゃがいも掘りしてきたひまわりさんだったので、
我が家におけるじゃがいも率が高くなってしまってるのね。
だからってそんなに肉じゃが作るなよ、って話なんだけどね(汗)

昨日、幼稚園のママさん向けに役員主催で茶道教室をやった。
幼稚園で茶道を教えている先生に『是非、母親向けに簡単に教えて頂けないでしょうか』と打診した所、
なんと快く引き受けて下さったのだ。
我々役員皆がアシスタントとなって頑張ろう!となったのだけど、皆茶道初心者。
一応先生もお弟子さんを2人ばかり連れて来て下さる、という事だったけど、
右も左もわからない我々はドキドキしまくり。

さらにいざ企画したはいいけど、反響が少なかったらどうしよう…と皆で恐々としていた。
せっかく快く先生も引き受けてくれたのに参加者ポツポツ…とかだったら…

結局定員オーバーまで行かなくとも定員いっぱいの希望があり、ホっとした。
自分たちで企画して計画した事に参加してくれる方がいるのってすっごく嬉しい。

でも準備するにしても茶道の事さっぱりなのでいちいち『??』な事だらけでやっぱり不安がつきまとう。
「棗(なつめ)って??」「黒文字って??」

当日は朝からバッタバタ。3回に分けてレッスンがあって、お昼の時間もあんまり取れなかったので
取急ぎ、ランチは皆でおにぎり持ち寄りにしようとなったので(先生&お弟子さんにも食べて頂くのも含めて)、
ダッディの持論『立ってるものは親でも使え』方式を私も導入し、
「ダッディ、冷蔵庫からマヨネーズ取って!!」ひまわりさんが「ママ、開けて…」なんて言おうもんなら
「ごめん!ダッディにお願いっ!!」
しかもよりによってこの日は雨だったもんで、ひまわりさんと徒歩通園になったので余計に焦っちゃう。
ひまわりさんにも「ママが遅刻しちゃうから、申し訳ないけど、ちょっと急いでもらってもいい??」
と急かしまくり。ひまわりさんも「つらい〜」なんて弱っちろい事言うので
「ママがひまわりさんくらいの頃は毎日歩いて行ってたんだよ。(同じ幼稚園だったもんで)」
「年長さんなんだから頑張ろうよ」このセリフ、すごい効果を発揮する。
『年長さんでしょ』このセリフ、いざって時の免罪符キーワードとして重宝している。
乱用すると効果激減するので、注意が必要だけど。
ダッディとひまわりさんのお陰で遅刻する事なく間に合った。

そして最初に先生とお弟子さんから簡単に説明してもらって、茶道教室が始まった。
最初は先生の話に耳を傾けるのが精一杯だったけど、回を追うごとに流れを把握してる自分がいて
ちょっと(どころかかなり)楽しくなってきた。
『もうすぐ(お湯を捨てる用の)ボールタイム(ボールを差し出すタイミング)じゃない??』
『お菓子のゴミを受け取るタイミングじゃない??』
ちょっといっぱしのアシスタントになった気分。
3回のうちの一回に自分たちも参加させてもらった。
やっぱり茶筌(ちゃせん、お茶をかき混ぜるもの)で泡を立てるのはすっごく難しかった。

皆で持ち寄ったおにぎりにも茶道の先生はすごく喜んでくれて、
「こういう持ち寄りって楽しいんですよねぇ〜、私も昔やったものです。
こういう事が出来るのって本当に楽しいんですよねぇ〜」って繰り返していて
最初は『ただでさえ普通にお弁当作りもあるし、しかもいつもより早めに出なくちゃだし
その上おにぎりノルマなんて…うへぇ』なんて思っちゃったけど、思い直した。
忙しいけど、この忙しさをもっと楽しまなくちゃね。

前にテルばあちゃんのお家でひまわりさんがお茶を煎れてるのを見ても思ったけど、
お茶って、そんなにそんなにかしこまらなくても煎れられるのね。
そりゃあ、それなりの作法というのはあるけれど、別に自分の為に煎れるんだったら
そんなにこだわり持たなくても出来るものなんだ、って事を今回も教わってみて改めて知った。

茶筌と可愛い器、探そうっと。
そして家でひまわりさんと時々なんちゃって茶道を楽しもうっと♪
因みに上に挙げた『棗(なつめ)』とは、お抹茶を入れる茶筒みたいな入れ物の事で、
『黒文字』とは和菓子を食べる時に使う特殊な木で作った(木の名前も教えてもらったけど忘れちゃった>_<)
楊子の事。
これがまたとっても香りがあって、殺菌作用もあるとか。
昔から受け継がれている伝統って、道具も大事に大事に愛されてる感じがいいのよね☆

次の日の今日も茶話会で幼稚園に出向き、(前までだったら『茶話会』って聞くとちょっと気が重かったけど
私も幼稚園ライフに慣れたのか、馴染みのママさんも多くなったのもあって、
さらには主催者のクラス委員が友達のけいちゃんだってのも手伝って、行くのがちょっと楽しみでもあった)
茶話会の後はアルバム係だけ残って話し合いをして
今週は幼稚園に通いづめ(と言ってもひまわりさんとの接触はまるでなし)、
なんと明けて月曜は一日参観日でまたもや一日幼稚園!!
こうなったら幼稚園に住んじゃう??

サヨナラドクター
先日、ダッディの仕事がお休みの日、私は朝から役員の仕事で幼稚園に出向き、
そのままひまわりさんのお迎えまで続き、ひまわりさんを迎えて一時帰るも、
その後すぐにひまわりさんの皮膚科に行かなくては、という状況で、ダッディも夕方から用事で出かけなくてはならなかったので
珍しくダッディが「なんだよ、ずっと一人かよっ」と軽くブーたれていた。
なんだかその光景がおかしくって「ん?じゃあ私、役員の仕事辞めよっか、
今度から『主人が寂しがるので今後役員の仕事は一切お引き受け出来ません』って言って役員を辞退しようか?」
なんてからかうように言ったら、ダッディは逆に
「そんな事、公の場でmemeが言えるわけがない。言えるもんなら言ってみな、俺は全然構わないから」と返された。
ぐぐっ!確かにその通り。そんな事言えるタマではない。
そういうキャラだったら今の生き方もガラっと変わってるはずだわ。

皮膚科と言えば、かれこれ何年前からだろう、ずっとかかりつけだった皮膚科とはサヨナラした。
冬は乾燥、夏はあせもで何かとお世話になっていた皮膚科、
気付けば秋・春もずっと痒がってる有り様で、それまでの皮膚科では「なんでしょうねぇ、なんかのアレルギーかも知れませんねぇ」
と言われるんだけど、それっきり。
こっちとしたら『ん?じゃあ何の??』って切り返したくなるでしょ。
「よかったら調べてもらえませんか?」って言ったら「出来たら小児科で調べてもらえないでしょうか」って返される。
でもひまわりさんにはかかりつけの小児科はない。耳鼻科のみ。
前にやっぱり皮膚科で断られたから、耳鼻科で聞いてみたんだけど、そこで先生ではないけど看護士さんが
「小さいうちに(耳鼻科での気になる症状がないのに)検査をするのはあんまりおススメしないかなぁ〜」
そうだよね、耳鼻科では検査する程の症状はまるでないんだもの。
さらに皮膚科の先生は「小さい子に注射して、(皮膚科、要はこの病院が)来たくない、って思われたくないんですよね〜」ってボヤいた事もあった。
でもこれはずっと前の事で、言われた時はそんなに症状も強くなかったから
「ふ〜ん、そうなんだ〜」ってサラリと交わした。

でもひまわりさんの痒いのはちっとも治まらない。
皮膚科の先生は「じゃあ、薬を変えましょう」って痒みどめの薬もどんどん強いものになってくる。
確かに薬で少しずつだけど痒いのは治まって来るんだけど、ちょっと薬を切らすとまた痒みが復活してきちゃう。
皮膚科もそんなにそんなに近所じゃないので、時々定期的に通うのが難しくなって
歯医者とか、耳鼻科とかと被ったりすると行くのを怠ったりする時もあったりした。
(春先、私が2ヶ月連続でダウンした時とか行くのがしんどかった)
するとずっと温厚だと思ってた先生も結構キツい口調で「薬はやめちゃダメなんです!!
しっかり治るまで続けなくちゃいけないんです!!なので切らさないようにちゃんと来てくれなくちゃ困ります!
このコの肌はただでさえデリケートなんですからっ!!」
確かに仰る通りだし、心配してくれてるのはとっても有り難いのだけど、
風邪とかで行けなかったりしたら仕方ないじゃない。
言い訳無用!皮膚科一番!!くらいの勢いで言われ、基本的に打たれ弱い私はその辺りから
「………もしかして、ちょっと違うかも……」と違和感を覚え始めた。
そうなるとなんでしょう、マイナスイメージばかり出てきちゃう。
『嫌われたくないから検査しない、っつ〜のもどうなんだろう…』
『なんかのアレルギー』ってだけで通い続けていいものなのかな…
しかも厳密には『なんかのアレルギーかも』で『アレルギー』とは断言された訳でもなく…

だからと言って『転院』っていうのも躊躇いもあった。
それこそ今の時代『セカンドオピニオン』の存在もメジャーとなり、
他のお医者さんにかかるのも大事、って言われてるけど
実際はやっぱり先生としても面白くないんじゃないかしら…とかついつい考えてしまう。
いざ紹介状もない状態で他のお医者さんに行った時に「ここも同じように裏切るわけ??」とか思われたりしたらどうしよう…
小心者の私はそりゃもうドキドキもんですよ。
このまま素直に『なんかのアレルギーかも』で過ごすべきなのかしら…

今振り返ると、『なんかのアレルギーかも』で過ごすのは大きく間違ってる、ってわかるんだけど、
なんだろう、前はちょっと感覚が麻痺してて、中途半端に長い期間(かれこれ3〜4年)通ってたのもあって
なんか『情』みたいな感覚もあって、それがさらに転院=裏切り??とか考えちゃったりもすると
『なんかのアレルギーかも』もアリ??なんて思っちゃってた。

でも北海道に行く前に決断した。
「よし!!北海道から帰ったら皮膚科を変えるぞ!!」
そして北海道から帰って来てから友達のやよいちゃんに「超オススメ」って言われた皮膚科にドキドキしながら行ってみた。
どんな対応なんだろう…すごい叱責されたらどうしよう…
一応受け付けで「他の皮膚科でずっと『何かのアレルギーかも』でかかってるんですけど…」
と軽くかくかくしかじか説明をした。

そして名前が呼ばれて入って、私がかくかくしかじか深く説明しようかと思うか思わないか、
「え〜と…」と言いかけた時、先生はニッコリ笑って、キッパリと
「あ!これね、アトピー。」断言。私が呆気に取られてる間も優しく説明を続ける先生。
「でもね、すぐに治るアトピーなの、これ。何でかって言うとね、このコの肌、他の部分はとっても白くてきれいでしょ。
こういう肌のコはちゃんと治ります。」
そしてひまわりさんのお薬手帳を見て、「強いステロイド使ってたんだね。これは必要ないかな〜」
先生は続けた。それまではとにかく痒みを押さえる薬を使ってたのだけど、
これはアトピーだから、痒みどめの薬は付けてる間は痒いのは治まるかも知れないけど
アトピーはこの薬では治らない。こんなに強い薬ではなく、弱い薬にしましょう…
それで、症状が治まらない時は他のアレルギーの疑いも出てくるので、それはその時に調べましょう…

それまで転院を躊躇ってた自分が一気にバカらしく感じた。
そしてこの新しい皮膚科の先生、後光が差して見えた。(私だけだと思う・笑)
やよいちゃんの「超オススメ」の「超」の意味をすごく噛み締めた。

前の皮膚科では怒られたりもしたのに、今度の先生は「お母さんはホントによく頑張りましたね」
って労いの言葉をかけてくれるじゃありませんか!!
こういう言葉に弱い私。ここに決めたわっ!!ここしかないわっ!!

帰って早速新しい薬を塗ってみて、次の朝見てみたら、
それまでカサついてた部分にちょっと潤いが見えてるではありませんかっ!!
めちゃくちゃ感動した。
改めて医者選びの難しさ、知りました。

やるなら今しかねぇ
話はすごーく遡って北海道に行く日のお話。
この日はひまわりさんの幼稚園の遠足で、親も参加の遠足だった。
親も参加、と言っても一緒に現地集合して、子供たちが公園内を散策してる間、親は自由行動、フリータイムとなる。
ただ、年少さんは親も一緒に子供たちと回る。
そして年長さんに至っては親は卒園関係の役員決めの場となるのが通常の流れとなっている。
これ、年長さんの親にしてみたらある意味ドキドキタイムでしょう。
役員決め、このキーワードだけでも胃がキリキリしちゃいそう。
でも遠足で役員決め、なんてうまい事考えたなぁ、とある意味感心します。

しかもしかも私は既にもう役員を引き受けているんだもの、これで引き受ける事にはならないでしょ、
と、とっても楽観的だった。
ただ、この決める時に例によって例のごとくのあの独特のおも〜い空気だけはやだねぇ〜って
クラス委員のけいちゃん達と恐々としていた。
昨年の年長さんの時の経験談などを聞き、どうしたらいいか皆で話し合い、
予めアンケート用紙を配って、意向を確認する事にした。
さらに聞けば去年はアンケートを出さない人が多くて、出した人が役に付いちゃう、なんて気の毒な雰囲気になったりした、
そんな話を聞いて、少しでも多くの皆に納得、提出してもらう為にどうしたらいいか、
アンケート出したもの負け、とか、いない人(年少さんの引率で話し合いに参加出来ない方)負け、
とかそういうのは絶対避ける方向にするにはどうしたらいいか等皆で話し合った。

そして用紙には『提出しないと全部の役が出来るものと判断しちゃいます』みたいに書いて、
文章だけだとキツいから所々私の絵でごまかし、ごまかしで作成してみた所、
なんとアンケートの回収率100%だった!!これはすごく嬉しかった。

あとはクラス委員のけいちゃん達が頑張ってくれて、どうにか遠足当日はスムーズに決まりそうな雰囲気になったのだ。
前の懇談会の時も思ったし、今回も思ったけど、今回のクラス、何だか好きだわ。
だからと言ってそれまでのクラスが苦手だったって事はまるでないんだけど、
懇談会で私が勢いで役員引き受けちゃって、なんだか私のテンションもおかしくなってた時も(爆)
皆とっても温かかった。

だけど、どうも『アルバム係』が人数足りないかも…そんな流れになっていた。
別にやってもいいけど…役員忙しいしなぁ〜。
でも楽しそう。アルバム作ったりするの大好きだし。
という事で結局なんと細々作業大好きけいちゃんと『二人で一人カウントにして』って事で
アルバム係もやる事にしてしまった。(やぶれかぶれ)

さらに他の係りも皆「どうせなら一緒にやっちゃおうよぉ〜」なんてなってて
「人数多いけどいいよね!!」なんて盛り上がって、あっという間に全部の役が決まったのだ。
この時もとってもクラス(厳密にはママ達)の雰囲気がよかった。
年度末に行われる謝恩会がとても楽しみになってきた。

早速それまでのアルバムを見せてもらったりした。
それ見たら『やっぱり引き受けてよかった』って思った。楽しそうだし、何より私に向いてる仕事なんだもの。
ただ、アルバム係りって毎年どうしても「ウチの子の写真が少ないんだけど」的なクレームは避けられないなんて話を聞いた。
うーむ、確かに難しそう。
この辺も頑張ってクリアして行きたい。

という訳で今年度、またさらにべらぼうに忙しくなるけど、とことん頑張って年度末にはあしたのジョーばりに
燃え尽きて白髪になっちゃうくらい突っ走ろうと思ってる所存でござります。
なので時々息切れしそうになって愚痴愚痴日記になっても生温かい目で読んでやって下さい☆

克服への道のり・その2
雨予報が懸念されてた日曜日のフリマも天気に恵まれました。
前日ひまわりさんと神社でお願いしたのが叶ったのかな。
まさか叶うとは思ってなかったので、後でひまわりさんとお礼に行きました。
神様っているんだね。

今回のフリマで何が嬉しかったって、私の作ったプライスポップが褒められた事。
何回も夜遅くまで頑張った甲斐があった。(感涙)
しかも年齢層の幅の広い事に驚いた。
小学校高学年くらいの女の子から高齢者の方まで(もちろんみ〜んな女性。オトコ受けしないのね=з)
しきりに「かわいい〜!」なんて言ってくれて、なんかこの言葉が今回の一番の収穫じゃないかしら。
お褒め頂いた方にはこのサイトのアドレス貼ったミニ名刺みたいなのを配ってみた。
来てくれてる方いるのかな?

絵を描く事が大好きで、ずーっとずーっと描いていて、好きでやっている事とはいえ、
基本的にはあんまり自信がなかったりするんですよね、あんまりネガティブな事言いたくないけど。
なんでしょう、やっぱり自己満足の世界でしょ、やっぱり。
私は描いてて楽しいけど、でも実際これを見てどう思われてるんだろう、とふと思ったりするけど
やっぱりそんなに人に受けるような絵じゃないんじゃないかなぁ…とか思っちゃいます。
だからあんまり自己満足を押し付けるのもどうか…とか思うと何か作るのにも臆病になって二の足踏んでる自分がいたりした。
(ここ最近は作る時間もなくなっていたっていうのが一番なんだけど)

だけど、吹っ切れた。もっともっと頑張らなくちゃ!!ってやる気が出た。
それまで私は『褒められて伸びるタイプ』だと思ってたけど『褒められないとダメなタイプ』だという事にも気付いた。
こんなんじゃダメだわ。もっと精進せねば。
めんどくさいヤツだぜ、私って。

キャンセルしそびれて、実は来月もフリマにエントリーしてるので、
ここは頑張って何かオリジナル商品でもちょこっと持って行こうかな、と企んでいます。
という事で、申し訳ないのですが、しばらく更新は滞ってしまうかと思います。
更新した時は「あ、行き詰まってるな、」と思って下され。
こうしてる今も、役員のプリント作りでちょこっと行き詰まってる最中だったのです=з

ちょっとでも記憶の薄れないうちにどさんこ日記を続けなくっちゃ。
話は結婚式の次の日の事、岩見沢に宿泊していたので、岩見沢にある『北海道グリーンランド』に行く事にした。
従姉妹のなみちゃん親子も誘って一緒に遊んだ。
よみうりランドにあったカエルのなんちゃってフリーフォールみたいのもあり、ひまわりさんの心を掴んだ。
そう、ひまわりさんは絶叫系が得意になりそうな素質バッチリ。

だけど実は私は小さい頃から絶叫系苦手人生を歩んで来ました。
ひまわりさんとは対照的。
『遊園地に行かなきゃ別にいいんだもんね、』なんて思ってたけど、なんだかんだと行く機会って人生のうちに訪れちゃうモンです。
これがいい大人になったら機会は減るんだけど、子供がいると逆に増える、という事にも最近気付いてしまった。
だけどひまわりさんには苦手意識を植え付けたくないので、私が苦手というのは内緒。

というのも私の苦手なのもやはり幼少時、親に「怖いからやめておきなさい」って言われて
「そっか、怖いのか」という先入観が植え付いてしまったのが原因だと思われるのです。
まぁ、私の場合、4人兄妹という環境にあり、親としても少しでも乗り物の代金を費やしたくない、
というのがあったと思います。

やはり苦手なものって少ないに越した事はない。
だからひまわりさんにも苦手なものを作ってもらいたくないなぁ〜と常日頃感じています。
(今の所、風船だね)

そんな訳でグリーンランド、私も頑張っちゃいます。
と気合い入れてみたのです。乗り物乗る時もちょっぴりドキドキしてるんだけど、表向きは平静を装います。

だけどビックリ。平気なの!
それまでもディズニーランドでビッグサンダーマウンテンも平気だったし、スプラッシュマウンテンもかろうじて平気だった、
というのもあったけど、基本的にディズニーってゆるゆるでしょ、ライド系に関しては。
だから克服、って言うにはまだまだでしょ、なんて思ってた。

今回スピンしながらものすごい高いトコまでぐるんぐるんしながら上がってく、
(こんな説明じゃ絶対伝わらないよね。ま、とにかくすごい乗り物って事で^^;)
そんなヤツも楽しくて、楽しくて。
え??楽しいの??ホント??って自分でもビックリしちゃった。
そうなるとちょっと自分自身チャレンジ精神が湧いてくる。
『あれも行けるんじゃない??』『それも乗れちゃったりするんじゃない??』

結局お昼くらいに雨が降り出して全部乗る事が出来なかったけど、バイキングが酔うという理由で苦手、
というのがわかったくらい。(きっとフライングパイレーツもダメっぽい)
他は大体楽しめそうだ、という事が判明!

私だって驚いてるんだもの、絶叫系苦手だった私を知ってる友達はこれを読んで驚いてるよね、きっと。
まさか遊園地の乗り物、我が人生において克服出来るなんてこれっぽっちも思ってなかったのですごく嬉しかった。
しかも37歳にして克服って遅すぎない??(爆)
だからって絶叫系とことん乗りまくりたい!!
じゃあ、富士急ハイランドでも行く??なんて気分にもならないんだけどね。
(私の中での絶叫系のメッカ、と言ったら富士急ハイランド)
やっぱり37年の壁は厚くて、どうしてもまずはドキドキから入ってしまうんだね。

何がきっかけになるかわからないけど、人間て変われるんだ、という事をつくづく感じた一日でした。

ニクイネ、酋長!!
北海道に行く前に図書館に行って本を返却しておかなければならなかった。
これがまた隣の市の府中の図書館だから『ちょっと行って返してくる』感覚ではなく、
行って戻ってくるのでも午前中が潰れるので(あくまでも自転車が必須である)
行く日も限られてるし、なかなか時間が取れずにいた。
結局北海道へ行く前日に図書館に行く事が出来て、無事返却してホっとしたけれど、
この豊富な蔵書たちを見ていると素直に帰る事が出来ない。
『ちょっとだけ見て行こう♪』になっちゃう。
そして書籍たちを眺めていたら『あ!あの本はあるかしら?』なんて検索かけちゃって、
その本を見ちゃったら『借りたくなっちゃう』…でも北海道に行っちゃうしなぁ……………
!!!北海道に持って行けばいいんじゃない!!!
返却期日前に帰ってくるじゃない!!
プワワワァ〜と目の前が拡がったように感じた。
という事で借りたのが『愛と死をみつめて』と、この愛と死をみつめての主人公で、
21歳という若さで亡くなった大島みち子さんが生前、入院中に綴っていた日記『若きいのちの日記』を借りた。

もう既に映画(DVD)で何回も繰り返し繰り返し見たので、あらかたのストーリー、結果を知ってるだけに
楽しめる(この表現は的確ではない)のかな、しかもただお互いの手紙を載せているだけの本、正直どうなんでしょう…
なんてあまり期待しないで読み始めた。

でも気付けば引込まれていた。
ミコの手紙の時の声は小百合ちゃんだし、マコの手紙の時の声は浜田さんだった。
これが余計に気分を盛り上げた。ニクイネ、酋長!!
(作中にやたらと出てくる。当時の流行語か??あまりにも出てくるので私の頭について離れなくなった。
そうなると意味不明ながらも使いたくなってしまう。)

映画で見る限りだと、いつ入院して、いつ手術して、再発して、入院からどのくらいで亡くなってしまったのか、
その辺がよくわからなかったけど、(いや、ちゃんと映画でも話していたと思うけど
展開と浜田さんばかり追ってたから理解しにくかったのではないか)
本を読んで時間の経過がよくわかった。
そしてやはり時代ゆえの遠距離の辛さが手に取るように理解出来た。
映画を見てると、ましてやこの時代に見てるもんだから、
ついつい「マコ、何やってるの??早く大阪に行ってあげてよっ!!」なんて歯痒い思いをしながら見たりしてたけど、
本にはその辺の苦悩が鮮明に伝わってきた。ニクイネ、酋長!!←明らかに使い方間違ってる。
(これからネタバレ含めた感想を話します。)

本当は今回は『克服への道のり・その2』と題して別のお話をしようと思ってたんだけど、
今しがた2冊の本を読み終え、記憶の薄れないうちに感想を記しておきたい、と思い、急遽変更した。
ニクイネ、酋長!!(?)

こう言っちゃなんだけど、マコも若さゆえか、幼い部分がちょっと目についた。
ちょっと風邪をこじらせたら『みこ、死んでしまいそうだ』なんてみこに弱音吐きまくりにちょっと引いた。
というのも、この手紙は12月なんだけど、その前の11月の頭にミコは顔半分を切るという大手術をして、
半月以上高熱に冒され、口も切った事により、喉にガーゼを詰めていて、その交換がかなりの痛みを伴う上、
食べ物もうまく通せないので、最初はしばらく管を通している状態で声を出す事も出来ない、そんな生死を彷徨うような
大変な日々を過ごしたミコに対して『(喉が)とにかく痛くて痛くて泣きたいほどだけど泣くと余計痛むだろうから泣かない』
よくそんな甘ったれた事が言えるなぁ、と
(マコもミコの様子は知ってるのにも関わらず)ちょっとあきれてしまった。
そりゃ大変だ、ひどい扁桃腺炎はツラいと思う。だけど愚痴こぼす相手、明らかに間違ってるでしょう。

まぁ、マコに言わせたら『ミコには隠し事はしないよ、全て話すからね』って事なのかも知れないんだけど…

それに対し、ミコは
『身内の人のいらっしゃらない寮で(マコは学生寮に住んでいた)一人痛みに耐えていらっしゃるかと思うと、
たまらない気持です。まこにどこか悪い所ができると、自分のことは忘れてしまいます。』
ミコの方が大人だね。

手術前、自分の寿命が短い事を知り、しかも少しでも長く生きる為には顔半分を切除する手術をしなくてはならない、
という事実に直面した時、ミコは手術よりも顔を残したまま命を終える方を望んでいた。
死ぬ事ばかり考えていたミコに対してマコは説教をした。

そんなマコのお陰でミコも手術を決意し、死ぬ事を考えるのをやめ、生に対して前向きになったのだけど、
今度はマコがミコの父よりミコの病気はもう治らない、またガンが再発したので生きる望みが絶たれる、
というような手紙を受け取ると、かなり動揺する。
これは本当に気の毒でならないのだけど、そこからのマコの手紙も取り乱し、何かとネガティブな内容が続くし、
何かと『死』という言葉が出て来るのがとても気になった。

それまで生よりも死を望んでいた時のミコも無意識に手紙で『死』という言葉を使っていて、
それに対し、しきりに憤りを見せていたマコ、いざ自分だって現実に直面した時に『死』という言葉を乱用
(ちょっと語弊があるが)しているのに少し疑問を感じた。

ミコは気持ちだけでなく常に頭痛に悩まされ、歯も痛んだり、喉が痛んだりと常に体調も苦しい状態。
そんなミコに対して、その時インフルエンザにかかってるとはいえ『今すぐにでも死んでしまいたい』とボヤく。
また、弱音吐いてるよ、コイツ、なんて失礼極まりないけど思っちゃう。
さらに『みこの死とともにすべては終わるのである。ぼくもこんなグチをこぼすけれど、
ほんとうに幸せでした。ある面では不幸でしたが……。』
そりゃミコ自身も治らないと知りつつも、精一杯生きようとしていると言うのにミコの存在を過去のものにしようとしてるマコ、
(しきりに頭を切り替えようと苦悩し、手紙で『早く新しい女性を見つけたい』と書いてしまう)
その心変わりに対しては別に咎める訳じゃなく、むしろそういう心境の変化もあるのだろう、とむしろ同情を抱くのだけど、それをミコに言うのはどうなの??
せめて自分の日記(彼は日記を書いてなかったのだが)の中にとどめておいて欲しかった。

でもやはりミコにとってはかけがえのないマコなので、それも全部受け止める。
実際こういうやりとりもまた彼女の支えになってたのだしね。
愛情ってすごいパワーなんだ、というのをしみじみこの本ですごく感じた。

そしてこれを読み終わった後、『若きいのちの日記』を読み、生々しいミコの本音を知る。
ミコの愛情の深さを思い知る。
もちろんマコの愛も深い。だけど不器用すぎる。ストレートに感情出しすぎる。
でも逆にそんな無骨な愛がミコの心を掴んだのだと思うと私が否定するのも間違っている。

この往復書簡本は400通に及んだ文通全部を掲載しているのではなく、幾つかを抜粋してるのだけど、
最初に出版されたものよりもどんどん少なくなっていったらしい。
最初に出版された本が読みたくなった。
秘かにずっと古本屋で探していたけれど、ちっとも見つからない。
あれだけベストセラーになったのだから(当時140万部売り上げたとか!)、
ちょっとは出回っていてもおかしくないのにちっとも見かけないのはどうしてだろう??
皆大事にとってあるのかな?ニクイネ、酋長!!←しつこい??

最後に、明日、ずっと延び延びになっていたフリマです。
なんと天気予報を見ると懲りずに(?)雨マークがあるのだけど、どうも午後っぽい。
とするときっと開催されるはず。雨が降るのが少しでも遅くなる事を願っています。
明日、近くでお時間のある方は是非、味の素スタジアムへ来て下さい☆

克服への道のり・その1
私は珈琲が飲めない。だけど昔は飲めた、高校2年の時まで。
でもそれまで飲んでいたのはもっぱらインスタントコーヒーだったので、本当の珈琲とは言えないと思う。
高校2年の時にやっていたバイト先は(インスタント)コーヒーが飲み放題だった。
因みにそのバイト先は本屋さんで、その本屋さんがレンタルCDを始めるので、(まだ貸しレコード屋という業種が主流だった頃)
CDの裏にバーコードシールを貼る作業のバイトだった。
お店のそばに建てられたプレハブの中での作業だった。
当時まだ『働く』という事に完全になめ切ってた私はダラダラとこなし、ガブガブ浴びるようにコーヒーを飲んでいた。

きっとこれが祟ったのでしょうね、胃の具合がおかしくなり始めた。
飲むと胃が痛くなるので、我慢するでもなく自然に飲まなくなった。
それ以来コーヒーを口にする事がなくなってしまった。

珈琲が飲めないと意外に苦労するな、と常々思います。
仕事でも出かける先で出されるのはまず『コーヒー』。しょっぱなから『紅茶』なんて出て来ない。
『緑茶』というのもレアかも。

最近だと友達は周知の事だから友達の家に遊びに行っても珈琲が出る、という事はないんだけど、
それでも知り合いのお宅とかにお邪魔した時に「珈琲??」って聞かれて「いえ、紅茶で、」と言い返し、
わざわざ紅茶を煎れてもらうのも何だか恐縮してしまう。

だけどあんまり『克服しよう』とも思わなかったのも事実。
上みたいなシチュエーションになった時だけ、ちょっとだけ『飲めたらいいのにね』って思うくらい。

そんな私にとって『ドトール』とか『サンマルク・カフェ』とか『スタバ』とかは基本的に縁のないスポットだった。
でもちょっとだけスタバのカップで飲む、ってのはやってみたいなぁ〜なんて思ってもいた。
あのトレードマーク付きのカップ、緑のストローで「珈琲飲めるのよ、ワタシ、」なんて気取ってみたいなぁ、
(実際はちっとも気取らないんだけど^^;)なんて淡い憧れがちょびっとあった。
だけど飲むものがない。
いや、聞く所によると珈琲以外のものもあるらしいが、でも値段を見ると
「う〜ん、何もその値段でそれを飲まなくてもなぁ」という印象もあったので、
ますます私には遠い存在だった。

だけど先日、皆で浅草の三社祭に行った時に行ったのです!『スタバ』に。
アイスかかき氷が食べたい!と言うくらい結構な暑さだったので、(メニューの)写真で見て
チョコ好きのひまわりさんが喜びそうな『ジャバチップフラペチーノ』(名前合ってたかな?)を注文。

これが美味しかった!
ひまわりさんも「おいしい!おいしい!」と二人で奪い合うように食べた(飲んだ?)。
だけど飲んだ後でちょっと心臓がドキドキしてきた。
すると友達が「それって、珈琲っぽいと思うよ、確かモカ系だったような…」やっぱり!
だけどすごく美味しかった。

私もスタバで美味しく飲めるものがあったんだぁ♪♪♪
わぁ〜い!!ちょっとだけ珈琲克服しちゃったぁ♪♪♪
30代(しかも後半)の私が言うのはかな〜り抵抗あるけど、ちょっと大人の階段昇った気分。
やばっ!!やっぱり言い過ぎたっ!!ごめんっ
まぁ、おかしな事言っちゃうくらい嬉しかった、という事でご了承頂きたい。

それから何か機会があると『スタバ』に行きたい私、北海道へ行く日も羽田空港で『スタバ』に寄った。
もちろん頼んだのは『ジャバチップフラペチーノ』(冒険しない私^^;)
これもまたひまわりさんと二人で奪い合うように飲んだ。(この日も暑かった)
その姿を見てダッディがポツリ。「大きいサイズ頼めばよかったのに」
そうなの??サイズ表記の見方もよくわかってない私、まだまだスタバビギナーであります。

ニホンのココロ・その3
北海道から帰って来て、次の日は私の体操教室、午後はひまわりさんの半年ぶりの脳波検査(後で話す事にして、)、
その次の日はひまわりさんと親子体操、さらに次の日は幼稚園の体操参観&役員集まり、そして夜には役員の仕事…
何だか忙しい自慢しちゃって恐縮だけど、追われるのは嫌いじゃないので、
アップアップしながらもエンジョイしてますが、こうもギュっと詰まってるのは
ホント、何年ぶりだろう、と色々な事を考えながらひとつひとつこなしています。

これらの事も話したいけど、まずはえせどさんこトークは話しておきたい。
岩見沢での結婚式を無事終えて、その後一泊して、次の日遊園地で遊んだ後、(これも後でね☆)
ダッディの実家へと向かいました。
こう言っちゃなんだけど、ダッディが上京してからは、きっと彼より私の方がダッディの実家にいる滞在期間は長いんじゃないかな。
まだまだ完璧じゃないけど、ダッディよりは家の勝手がわかってるかも、なんてちょっと自惚れてみたりして。

基本的に『実家』って響きからして、昭和好きの私には魅力的に映ってしまう。
『実家』より魅力的キーワードは『おばあちゃんち』(我が家にはおじいちゃんが故人となってしまっているので、こう呼ぶ)
たまらんです。私からしたら『実家』も『おばあちゃんち』も博物館クラス。
近年、年に一回はお邪魔させてもらっていて、その度についついチラチラと目の肥やしとばかりに
昭和探しをしてるけど、毎回何かしら発見がある。
物置きに置いてある食器棚を見る度にクラクラしたりして楽しむ事を忘れない。

さらには今回義父よりなんと黒電話を頂いた。
しかもちゃんと繋げれば使えるのだ!絶対使っちゃう〜〜〜!!宝物にするわっ♪♪
受話器の口の部分に付いてるお花のモチーフのついた、なんて言うんだろう??
ストレートに言うと唾予防って言うの??唾フィルター??みたいのもたまらないの。
今、秘かに可愛い電話カバーを探し中。

さて、話はちょっと変わって、
一足先にダッディが帰りますよ、って日に我々はバスで札幌に向かうダッディを滝川まで送って行った。
(滝川ってドコ??とかえせどさんこには聞かないでね^^;)
行きの道中でダッディが「気になる雑貨屋を見つけたんだよねぇ」なんて言っていて、そのお店を通過したら
確かにアンティーク雑貨、ジャンク商品が置いてあって、魅力的でもあったけど
なんだろう、こういうお店ってどうも『どうせ高いんでしょ、』そんな印象もある。
もしかしたら東京がそうなのかも知れないけど。

帰り際、義母が『その(ダッディが言ってたお店)店に行ってみる??』って言ってくれたけど、
う〜ん、どれも高くてテンション下がるのもなんとなく想像出来たので「やめておく」と答えた。
そうして車を走らせていた時にポツンとシンプルに『雑貨』と描かれた看板があるのを見つけた。
義母と二人で「ちょっと気にならない??」
建物は明らかに学校(分校?)だった建物。見た感じ何のお店かさっぱりわからない。
だけどちょっとかわいらしい文字の『雑貨』は引っ掛かった。
義母が「どうする??どうする??行くんだったら今だったらUターン可能だよ」
「……………………………行く!!」

後にして思えばこの決断は大正解だったし、何より義母の「寄ってみる??」のセリフがなければ行く事がなかった事を思えば
義母にふかーい深い感謝。この店に出会えて幸せ、って言っても過言じゃないくらい素敵なお店だったのだ。

そこもアンティークショップだったのだけど、私が幸せを感じるくらいリーズナブル。
広い学校だった建物の中にはいーっぱい商品で溢れ返っていた。
広いからぐちゃぐちゃ感はまるでなし。
昭和がいっぱいでもうもうたまらない。

レコードもいっぱいあって『一枚100円』なんて書いてあるもんだから
『ん?浜田光夫のレコードあるかな??』なんてちょっと探してみようとしたけど
しばらく探していて『ありゃ、見つけて買った所で聴く機械がないじゃないか!』とハっとした。

いやいや、ここは北海道、そして私が住むのは東京、色々買って行きたい衝動に刈られたけど
持って帰る事を思うと我慢せざるを得なかった。
だけど結局我慢出来ずにホーローのお鍋となんとミニテーブル、そして1962年の週刊女性(雑誌)を買ってしまった。
えぇ〜、このお店近くに欲しい〜〜〜。

北海道滞在期間中、よくひまわりさんが「東京が北海道の上に乗ってきたらどうする??」とか
「(ダッディの実家のある街)の隣に東京が来たらどうする??」なんて言っては一人で喜んでいたけど
私も『そうなったらサイコーなんだけどなぁ』なんてまんざらでもない様子で耳を傾けていた。

そしたらこのお店にもちょくちょく通っちゃう。
chocoholic cafeに次ぐ、第3の我が家にしたくなっちゃうくらい好きすぎスポットを発見した。

話は変わって、北海道上陸2日前の事、ひまわりさんの幼稚園で、年長さんだけ茶道教室が行われた。
それを興奮気味に話してくれたひまわりさん。
それは北海道に来てからもじぃじ、ばぁばに話すくらい楽しかったらしい。

すると義母が「じゃあ、やってみる??テルばあちゃんちにも茶漉しあるし、ウチにもあるよ」
という事でテルばあちゃんのおうちでやる事になった。
ほら、やっぱり『実家』と『おばあちゃんち』って何でもある宝箱なのよ。
そしてちょうどお茶受けに我々がほとけ様用にと持ってきたカステラを開けた。

ひまわりさんも気分は茶道の先生で、何かと「えーと、こうやって、こうやるのねぇ、これじゃダメなの、
手はこう!」
なんていっちょまえな事言ってやってるの。
私は茶道をかじった事ないので、インチキ茶道先生の話しも『へぇ〜』なんて聞いていた。

そして出来上がりを見てビックリ。いっぱしにちゃーんと泡が立っている。
実際私もちょっとやってみたけど、うまく泡が立たなかった。

最初はテーブルの上でやってたひまわりさんだけど、教わったのとは違う、と感じたのか、
一人で下に置いてしっかり正座して「お茶が苦かったらお菓子食べていいのね、」という指導口調で
御満悦な様子でカステラを食べていた。

結婚式をきっかけに和服熱が再燃した私、そんな時に茶道の魅力に惹かれたひまわりさん。
やっぱり和の心が根底で流れているんだろうな、ってそんな事を感じた今日この頃です。

最後に後日談、買った金額よりも高い送料を払ってアンティークショップで買ったものを送ったんだけど、
なんとミニテーブル、宅配業者が思いっきり落下してしまったようで、テーブルの角が破損してしまった。
慌てて宅配業者に連絡した所、「どうにか修理出来るようにします」と言って再びテーブルを持って行った。
無事直るのかな…??難しいと思うんだけど…
でも仮に弁償となっても買った金額こそ安いけど、同じものは絶対手に入らない事思うと悔しいなぁ。

ニホンのココロ・その2
友達に着付けの手ほどきをしてもらい、どうにかなるかな、とちょっとの自信を胸に北海道へと向かった。
北海道へ向かう日はひまわりさんの遠足だった。
雨で延期になってしまった為に出発の日と被ってしまった。
ひまわりさんの担任の先生は「本当にごめんなさい。この日になっちゃってごめんなさいっ」
ってすごく謝ってくれた。先生のせいじゃないのに、天気がいけないのよ。
午後の飛行機だったので、午前中、お弁当の前まで参加する事にした。

お弁当作らなくてラクちんだもんね♪なんてちょっと浮かれたけど
結局荷造りラストスパートだとか部屋の整理など、なんだかちっとも余裕がなかった。

遠足の事は後で話すとして、北海道に到着し、次の日結婚式が行われる岩見沢へと向かった。
そこで結婚式前夜祭のような親戚一同のお食事会が催された。
ひまわりさんは結婚式に何だか大興奮。この日の朝もいつも早くて6時半、通常7時起床のひまわりさんが
6時に目が覚めて起きるなり「ん?きょう、ほっかいどう??!!」だもの。
この食事会の時もひまわりさんはさも『今日はどうでもいい、明日が楽しみで仕方ない』といった様子。
なんと結婚式当日、ひまわりさんが起きたのは4時前!!!
早朝と言うべきか、深夜と言うべきか、「みんな〜!!あさだよぉ!!」と起こしてくれるではありませんか。
私も寝ぼけながら『ん?6時くらいか??』と思いつつも眠さが強い為にうまい事リアクション出来ないでいたら
義母が「え?!!まだ4時前じゃないの、ひまわりさん、まだ早すぎるよ、もっかい寝たら??」
というセリフに私も驚いた。
因みに前夜はお食事会もあって、ひまわりさんが就寝したのは夜10時すぎ。
いつもよりも2〜3時間遅い就寝時間だったのに。
「でも眠くないもん」という事で、寝ぼけながら「あいうえおのお勉強したらどぉ??」と促してみた。
義母が用意してくれたひらがなの書き方の冊子を始めたひまわりさん。
最近のひまわりさん、明らかに来年の小学校入学に向けて意欲的になってるようで
何かと「あいうえおのおべんきょう」「かずのおべんきょう」がブーム。
いずれも我流なので、かな〜りゆるゆる。
しばらくそれに夢中になってくれたのでなんとか睡眠時間を確保出来た。

着付けは自分でやるけれど、頭はやって頂こうと思っていて、親戚の方に予約をお願いしていた。
ところが手違いもあって、着付けも予約が入っていたのだ。
なので急遽、着付けもして頂く事になってしまった。
友達には非常に申し訳ない思いでいっぱいになり、後でメールで、電話で平謝りした。
忙しい中、友達に手間をかけてしまったのもあったし、私も自分で着る事で少しでもキャリアアップ、
スキルアップになるかしら♪なんて盛り上がってたのもあって、
結構凹んだけど(義弟のちゃーちゃんに言わせると露骨に顔に出てたそうな…^^;)
いざ、着付けの方に「帯結びはどうしようかしらね、ちょっと華やかにしましょうか、」
なんて聞いたら、自分で二重太鼓(オーソドックスな帯結び)を予定していた私も『ウフ♪』なんて
露骨にテンションが上がるのを感じた。
やっぱりプロはすごい。
しかも聞けば着付けて下さった方、私が以前通っていた着付け教室で先生をしてる方だった。
(全国にある教室。大手の学校です)
なので思わずかくかくしかじか、かつて私通ってたけど、何かとお金が飛んだし、
何かとイベントで販売会があるのが困った、そんな事をやんわりとこぼしたら
「ウチのお教室では一切売り付けはないのよ、きっと東京だからじゃないかしら、あときっとその時代もあったでしょうね」
などなど、終始着物談義に花が咲き、とても楽しい時間だった。
やっぱり着物っていいな、着物持っててよかった♪を実感した。

そして着付けた仕上がりはホント素敵だった。
帯結びもそうだけど、帯締めもちょっと凝っててカッコよかったの。
頭も普段絶対出来ないような頭で、テレビでゲーノー人がやってるようなフワフワした頭で
ちょっと(どころかかなり)ウキウキした。
なのでそれまでの凹んだ気分はすっかり回復していた。

その後、ひまわりさんの頭の(私が)セットをした。
ひまわりさんもドレスを着てすっかりテンション上がっていた。
私達、単純ね。

結婚式は身内ばかりのこじんまりした式、披露宴で、なんだかとても温かい雰囲気を感じたとてもいいお式だった。
ひまわりさんも珍しくお子さまメニューをほぼ全部平らげ、我々を驚かせた。
ひまわりさんは結婚式の何が好きって、自分がドレス着れるのもあるけれど、
何より着飾った花嫁さんを見るのが大好き。
式の間もしきりに「きれーーーーい!!」「かわいいーーーー!!!」と声を掛けていた。
4時前に起床のひまわりさん、スタミナが持ったのは花嫁効果と言っても過言じゃない。

やっぱり結婚式っていいな。
新郎新婦の幸せオーラもいいんだけど、改めて家族の有り難み、家族の温かさを感じる事が出来る素敵な機会だな、って思う。
また参列出来るものならしたいけど、やはり経済的な事を考えると……
やっぱりこの年1ペースがちょうどいいかな☆

ニホンのココロ
ただいま!
北海道から帰って来ました。いつも長居させてもらっている北海道デイズなもんで
北海道を離れる日はとても名残り惜しい気分でいっぱいになる。
今回も思い出いっぱいとても充実した日々で、またもや話すと長くなります。どうぞ覚悟の程を。

今回、北海道へ出向いた目的は親戚の結婚式。
3年連続と、何回も話したけれど、まず『結婚式参列』と聞いて、私はまず
「何着よう〜〜〜〜!!」という悩みから始まった。
去年、一昨年は手作りの服を、しかも同じ服を着てしまったのだけど、3回連続はさすがに苦しい。
しかも年々季節も変わっていて、今回は5月。北海道の5月はまだまだ肌寒い日もあるとか。
やはり新調すべか、と決意。でも気に入ったものを探すのもめんどくさい。
ここの所、まともに服を買っていないような気がするので、(うん、きっと気のせい、気のせい)
どこにどんな服が売っているのかよくわかっていない事実。
なのでうっかり舞い上がって、店員さんの言葉に乗せられて
とんでもなく場違いなファッションを買ってしまったらどうしよう、
そんな事をぐるぐる考えると、やっぱり行き着くのが「作っちゃう??」
あらかたデザインは決めていて、後は生地を買いに行く、という段階になった時
「作ってる暇あるか??」という疑問も浮かんで来た。
気付けば時は3月後半。春休み入っちゃうと、やはり自分の時間つくりが難しくなる。
そうこうして4月〜5月〜、なんて過ぎてたら、(まだ役員になる前だったんだけど)
きっと寸前になって焦って雑な作りになってしまうだろう…という不安もよぎってきた。
しかも作るのも意外にお金がかかる。下手したら買うよりも高くついたりする。

そんな時に頭をよぎったのが『着物』
実は私、持ってるのです。宝の持ち腐れがあるのです。
でもすっかり忘れていた。手間かかるし、着付けもめんどくさい。着付け代だってバカにならない。
これだから日本人も着物離れが進んじゃうのよ、なんて愚痴付きで思い出した。

私の着物人生の始まりのきっかけはなんと皇太子妃雅子さまなのです。
平成5年1月19日の事です。(今、調べてみた)おぉ!もう15年も前なんだ。
確かその日は仕事が休みでまったりと婚約会見を見て、
「雅子さまを全力でお守りします」という力強い皇太子の言葉にエラく感銘を受けてしまって
うぉぉ!皇太子ってカッコいいじゃ〜ん!!なんてとんでもなく失礼ながら思ってしまい、
フラフラと池袋に出かけた。
(当時は十条在住で、電車で池袋まで4、5分の距離。仕事が休みの日はフラフラと池袋〜が多かった)
そうしてブラブラとウィンドウショッピングしてる時に、それまでは見向きもしなかった呉服屋さんに
ふと立ち止まってしまった。

でね、結局買ってしまったのですよ、着物を!!
人生で初の36回払いをやっちまったのです。
フワフワ衝動買いもいい加減にしなさいってなもんでしょう。

これを読んだ方はいきなり着物をフワフワ衝動買いする事なんてないと思うけれど、
一応着物をかじった私から参考までに言わせてもらうと、
多少なりとも着物に興味がおありの方、『どんな着物があるんだろう』なんて興味本位で呉服屋に入るのはオススメしません。
気付けば分割払いの書類にサインしてる可能性大なのです。

その後、高い買い物をした着物、せっかくだから自分で着れるようになりたい、と欲が深まりました。
しかも『着物は洋服と違って流行りすたりがないからいいな♪将来着物着たおばあちゃんになりたい☆』
そんな夢まで抱いてしまった。
そうして、とある着付け教室に通い始めました。
受講料、そしてお免状代、払っていたんだけど、何でしょう??
それとは別に毎週、毎週、なんだかんだと1万円が簡単に飛んでいくミステリアス。
思えばまだバブルの香りが残ってる、そんな時期だったのもあったと思う。
さらには何かとイベントが催されて、その度に華やかな反物が広げられ、
そんなの見ちゃったら、ただでさえ毎週着物に触れている身、さらに欲深くなっちゃうじゃない。
ダメダメ、それ以上買っちゃ!と思う自分との戦いなんだけど、
「大島(紬)は一着あった方がいいんじゃない??しかもこの柄、素敵よぉ〜」
「色無地あたりも一着は持ってたいわよね、どんな場所でも潰しが効くし、」
「やっぱり地域性もった江戸小紋あたりも捨て難いわよね」
すんごい購買意欲をぐちゃぐちゃに掻き立てるったらない。

結局どれくらい通ったか覚えてないけど、お金がついて行けなくてやめた。
だけどお教室によってはこんな売り付けも一切ない教室もあるので、
これから着付けを習おう、と思ってる方は是非、口コミサイトなどで調べるのをお勧めします。

若気の至りで買ってしまった着物、振り返るとちょっと苦い思い出でもあったから、
きっと意識的に忘れようとしてたのかも知れない。
だけど今になって思えば「買っておいてよかったなぁ〜」「ちょびっとなりともかつて着物に触れててよかったなぁ〜」
今回つくづく『一生もの』を痛感した次第。
仮に着れなくなってもひまわりさんに受け継げる。

そうして友達にプチ講習を3回程してもらって、そんなかつての着物熱が甦って来た。
織田裕二のモノマネしてる山本サンのノリで言わせてもらえば
『日本人に生まれてヨカッタァァァァ!!!!』(手をグーにして伸ばしてね・笑)

実は一回も袖を通していない大島紬(おいおい^^;)、今度美術館に訪れる時にでも着てみようかしら、
と思っている今日この頃。